診療記録042:測る者の不覚
- 種族
- ララフェル・デューンフォーク / 女性 / 20歳
- 職業
- 看護師
- 主訴
- 定期健診(生活上の困りごと)
- 診断
- 正常範囲内
- 処置
- 衣類・支え布・姿勢の調整指導
健康診断は、静かな作業だ。
大きな病気を見つける日より、「何も起きていない」を確かめる日のほうが、ずっと音が小さい。
フリーカンパニーの面々が、入れ替わり立ち替わり診療所を訪れた。
問診、脈、呼吸。簡単な霊流の確認。
その横でシシスは、いつも通り記録を取り、器具を渡し、時々こちらが言いにくいことを代わりに言った。
「塩分は少し減らして」
「睡眠は“才能”じゃなくて貯金です」
「今のうちに直すと、次が楽です」
言い方は淡々としているのに、言っていることは案外やさしい。
“今のうちに”って言葉を、彼女はよく使う。
最後のメンバーが帰って、扉の鈴が遠ざかる。
診療所に静けさが戻った。
私は椅子に腰を下ろして息を吐く。
「……よし。今日は終わり」
「終わりじゃないです」
シシスがすぐ返す。声はいつもより低くない。むしろ少しだけ、丸い。
「次」
「次?」
「私」
言い切ってから、彼女は目を逸らした。
その一拍が珍しくて、私は少しだけ笑いそうになる。
「シシスが受ける側、久しぶりだね」
「久しぶりじゃなくて、ほとんど初めてです。……先生、変な顔しないでください」
「しない。約束する。――座って」
彼女は椅子に座った。背筋はまっすぐ。いつも通り。
でも指先が、膝の上で少しだけ落ち着かない。制服の布を、ほんのわずか撫でる。
私は問診票を引き寄せて、いつもの順番で聞く。
「睡眠は?」
「足りてます」
「食事は?」
「足りてます」
「頭痛、めまい、息切れ」
「ありません」
即答が続く。
“測る側”の答え方だ。欠点を見せない答え方。
だから私は、声の温度を落として、別の聞き方をした。
「困ってることは?」
シシスは一拍だけ止まった。
「……あります」
「うん。言える範囲でいい」
彼女は小さく息を吐き、あきらめたように言う。
「胸が……大きいです」
私は頷いた。驚かない。笑わない。
驚くのは簡単で、驚かないのは技術だ。
「困ってるのは、どんな時?」
「制服の前が浮きます。走ると揺れます。肩が痛い。背中が張る。擦れて痒い。……集中が乱れます」
箇条書きみたいな言い方。
恥ずかしさを“情報”に変えるときの声だ。
「言ってくれてよかった」
私はまずそれだけ言ってから、測定に入る。
血圧、脈、呼吸。
正常。霊流も大きな乱れはない。
ただ、肩口と背中に軽い滞り。筋疲労と姿勢の偏りが、ちゃんと触れる。
「結論から言うね。病気じゃない。危険でもない」
シシスの眉が、ほんの少しだけ上がる。
「……正常、ですか」
「正常。だからこそ“生活の工夫”で楽にできる」
私は紙を一枚出して、短く書く。
薬じゃない。手順だ。“守れる形”に落とす。
・制服の仕立て直し(前合わせと胸のゆとり)
・支え布を用途で使い分け(走る日/座り仕事の日)
・肩で吊らず、背中で支える(肩甲骨の位置を戻す)
「これ、全部やらなくていい。まず一つ。一番効きそうなのは“支え布の使い分け”かな」
「……下着って言わないの、ずるい」
「君が言いにくいなら、私は別の言い方をする。医療者の仕事だよ」
シシスは少しだけ口元を歪めた。笑いかけて、我慢した顔。
「仕立て直しは、裁縫師さんに頼むのが早い」
「……私が言うんですか」
「うん。お願いは弱さじゃない。調整だよ」
彼女はしばらく黙ってから、短く頷いた。
「……わかりました。仕立て直す。支え布も変える。背中も、鍛える」
「えらい」
言ってから、私は付け足す。
「それと、擦れて痒いなら、軟膏も使っていい。
恥ずかしいことじゃない。皮膚は、ちゃんと手入れすると機嫌が良くなる」
シシスの目が少し柔らかくなる。
たぶん、“正しい”より先に“安心”が届いた顔だ。
立ち上がる前に、彼女は小さく言った。
「……こういう話、嫌でした。医療者が困ってるの、格好悪いみたいで」
私は首を振る。
「格好悪いんじゃない。正確なだけ。
君はいつも患者に“申告して”って言うだろ。自分にも同じことをしなさい」
シシスは黙って、それから「はい」とだけ言った。
扉へ向かう途中で振り返る。
「先生」
「ん?」
「次は先生も健診。対象者が偏ってます」
声はいつもより柔らかいのに、内容はいつも通り容赦がない。
私は笑った。
「……わかったよ。逃げない」
「逃げたら、魔導書の角です」
「最後だけ刺すなあ」
「刺さないと忘れるので」
鈴が鳴って、扉が閉じる。
診療所には薬草の匂いが戻る。
今日は、測る側がひとつ、ちゃんと測られた。
それだけで、静かな一日が少しだけ整った気がした。
私的記録:
言いにくいことほど、先に“安心”を渡す。
それから手順を渡す。
最後に背中を押す。シシスは、今日それを自分でやった。
“受ける側”になっても、きちんと前を向ける。——そういう強さは、やさしさに近い。さて。次は私の番らしい。
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