診療記録053:急ぎ足の命、迎える掌
- 種族
- ミコッテ・サンシーカー / 女性 / 29歳
- 職業
- 行商人
- 配偶者
- エレゼン・フォレスター / 男性 / 29歳
- 妊娠週数
- 推定30週前後
- 主訴
- 腹部の張り増強、規則的な下腹部痛(陣痛様)
- 診断
- 切迫早産(進行性の子宮収縮)→ 早産分娩
- 処置
- 院内で分娩対応(母体管理・胎児監視・早産児対応準備)/子宮収縮抑制の試行と適応判断/出生直後の保温・呼吸評価・経過観察
扉が鳴ったのは、夕方の境目だった。
土と汗と、濡れた布の匂い。歩いてきた匂いに、焦りが混ざっている。
入ってきた女性は腹を押さえない。
押さえないようにしている。——動くたびに張りが走るのを、身体が知っている。
夫は荷を持っていなかった。
両手が空いている。支えるための手だ。
「張ります」
短い声。落ち着いているのに、息が浅い。
私は質問を短く刻む。救急の場では、言葉は刃物になる。切るのは迷いだけでいい。
「いつから?」
「昼過ぎから。……さっきから一定の間隔で」
「出血は」
「ないです」
「水っぽい感じ、急に増えた?」
「分からない……少し、いつもより」
「熱は」
「ありません」
シシスが時計を見る。
「張り、何分おき?」
夫が答える。
「七、八分。短いときは五分」
規則性がある。
週数を考えれば、早すぎる規則性だ。
私は診察台へ誘導し、体位を整える。左側臥位。
脈は速いが整っている。血圧は保たれる。皮膚の色も良い。
「吐いて。吸うより先に吐く」
「吐けたら、張りの山が少し低くなる」
腹壁に手を当てる。
硬さが波で来る。波が来た瞬間、彼女は息を止める。
「息。吐く」
言葉はそれだけでいい。
できることを、できる順番で繰り返す。
シシスが胎児心音を拾う。
速いが芯がある。乱れは少ない。
「心音、保ててます。反応もあります」
「よし」
私は奥を見た。
ここには設備がある。人員もいる。——迎える準備はできる。
「切迫早産。院内で受ける。分娩の準備に入る」
夫が息を飲む。
私は言葉を増やさない。
「今やることは三つ。動かさない。温めすぎない。手順を守る」
輸液を入れる。脱水は張りを増やす。
収縮を落とす手段を試す。――止まる可能性を残したまま、進む手順も並べる。
シシスは説明をしない。
清潔野。保温布。揺籃箱。吸引。小さなマスク。
必要なものが、必要な場所へ置かれていく。
「至急応援を呼んで。新生児の担当を一人。母体の担当を一人。記録は別で走らせて」
「はい」
時間が進む。
間隔が詰まる。張りの質が変わる。
止める手順の範囲を越えて、身体が“進む”方へ傾く。
私は結論を変える。
「進む。ここからは迎える」
シシスが視線だけで確認してくる。私は頷く。
夫の手が宙で迷う。
私はそこだけ拾う。
「あなたは支える役。握り潰さない。添える」
夫は頷き、彼女の手に手を重ねた。握り締めない。添えるだけ。迎える掌の形だ。
「息。吐く」
「いまは吐けるだけでいい」
痛みは、言葉で増える。
必要なのは、進む波に合わせることだけ。
波が来て、引いて、また来る。
その繰り返しの中で、診療所は静かに手順を重ねる。
そして、境目が来た。
「いま」
シシスの声が短く落ちる。
私は受け止める側の動きに入る。
誰も声を上げない。上げる必要がない。
小さな重みが、掌に乗った。
泣き声は大きくない。
けれど、呼吸は入っている。胸が浅くても確かに動く。皮膚の色はすぐに落ち着いていく。
「保温。エーテル揺籃へ」
「はい」
体温を守る。呼吸を守る。
順番は決まっている。
母体側に目を戻す。
出血量は許容範囲。意識は明瞭。呼吸も整い始めた。
「大丈夫。あなたも、赤ちゃんも」
私は短く言った。
夫は言葉を探して、見つからなかった。
やがて、赤子を見たまま掠れた声を落とした。
「もっと早く、足を止めていれば」
「あなたたちのせいではありません」
私は言葉を挟んだ。
「止められないものはある。でも、ここへ連れてきた。その判断は間違っていない」
夫は目を伏せ、それから手を伸ばした。触れない。触れないで、確かめる距離で止まる。
迎える掌は、焦らない。
私的記録:
急ぎ足の命は、願いで止まらない。
止めるなら止める手順、進むなら迎える手順。
今日、診療所は“迎える”を選んだ。小さな呼吸が入った。それで十分、次へ繋がる。
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1件のコメント
今回のは緊張感の走るお話しでしたね…!!
先生とシシスさんの、明瞭で今優先すべき事柄や指示を短くぽん、ぽん、と投げかける言葉は、道に迷いそうな相手の肩を優しく叩いて導くような力強さがあって心強いです☺️
赤ちゃん達も無事そうでよかった…!