診療記録043:背骨は嘘をつかない

種族
ララフェル・プレーンフォーク / 女性 / 28歳
職業
医師
主訴
定期健診(自覚症状なし)
診断
概ね健康。軽度の猫背傾向(姿勢癖)による肩背部のこわばり
処置
姿勢と呼吸の手順指導(骨盤・肩甲骨・呼吸の是正)、生活の確認と維持指導

扉を閉めると、診療所の音が一段落ちた。
紙の擦れる音と、ペン先だけが残る。

「先生。座ってください」

シシスの声は淡い。けれど、逃げ道はない。

私は椅子に腰を下ろした。
下ろした瞬間、背中が少し丸くなる。

「……猫背」
「言うと思った」

背を伸ばす。伸ばすと、今度は肩が少し固いのが自分でもわかる。
“正しい姿勢”は、努力が要る。努力が要る時点で、癖が勝っている。

シシスは帳面を開いて、いつもの速度で問診を始めた。

「痛み」
「ない」
「しびれ」
「ない」
「動悸、息切れ」
「ない」
「頭痛」
「ない」
「日中の眠気」
「ない」

確認は短い。要点だけ。
私が患者として座っているのに、診療の速度が落ちないのが少し可笑しい。

「飲酒」
「晩酌は……週に一、二回。グラス一杯。多くても二杯」
「連日は?」
「しない」

シシスのペン先が止まらない。
止まらないのは、問題があるからじゃない。記録に“揺れ”がないからだ。

「食事」
「規則的。野菜も取ってる」
「甘いもの」
「必要なときだけ」
「“必要なとき”の頻度」
「……週に二回くらい」
「増えてますね」
「健診でそこ突く?」
「突きます。数字より確実なので」

言い返そうとして、やめる。
今日は測られる側だ。余計な言葉は削る。

「睡眠」
「三時間半で足りる」
「足りる、じゃなくて“それで起きる”」
「先天的にそういう体質。日中は落ちない」

シシスは一拍置いた。
“短い睡眠=悪”にしないための間。線の引き方を、彼女は知っている。

「……わかりました。睡眠の長さは前提として、質と変動を見ます」
「変動?」
「崩れる日が続いたら申告。先生、得意でしょう。患者に言わせるの」

私は苦笑した。

「刺さる言い方だね」
「事実です」

測定に移る。
血圧。脈。呼吸。皮膚の色。目の焦点。
霊流の流れ――大きな偏りはない。澱みも強くない。

健康というのは、こういう“何もない”でできている。

「健康です」

シシスが言い切る。私は肩をすくめた。

「ほらね」
「ただし」

続けて、ペン先が机を軽く叩く。

「猫背。肩甲骨の動きが小さい。首が前に出る癖がある」
「癖だよ」
「癖は、形になります。先生が一番知ってるはず」

言い返せない。私は息を吐いた。

「診察」
「します。背中、見せてください」

白衣の背で布が引っ張られる。
私が無意識に胸を閉じると、布が少しだけ鳴った。

シシスは肩と肩甲骨の位置を見て、触れて、動かして確かめた。
押されると痛いというほどではないが、“硬い”のがわかる。
硬さは、痛みになる前に存在している。

「呼吸、浅いです」
「浅い?」
「吸うのが浅いというより、吐き切れてない。胸郭が動く前に止まってます」

私は息を吐いてみる。
たしかに、途中で止まる癖がある。忙しいときほど、息を止める。――医者の悪癖だ。

「背骨は嘘をつかない」

シシスが、小さく言った。

「忙しい、と言い訳する前に、身体が先に出ます」
「……正論だね」

彼女は頷き、結論を短く置く。

「病気ではありません。過労でもありません。
ただ、姿勢の癖が“毎日”積み上がってます」
「対策は?」
「工程です」

私は思わず笑った。今日だけで何度その言葉を聞いたか分からない。

「書きます」

シシスは紙を一枚切り取り、薬草名ではなく手順を書いた。

・座るとき、骨盤を立てる(背骨を“乗せる”)
・診療の合間に一度、胸を開く(吐き切る呼吸を三回)
肩甲骨を寄せて下げる(痛くない範囲で十秒×二回)
・晩酌は週一〜三回の範囲を維持(連日はしない)
・睡眠は短くてもいい。ただし連日乱れたら申告

「……猫背の処方箋だ」
処方箋です。先生が一番、紙を信じるでしょう」

私は紙を受け取って目を通す。
どれも難しくない。難しくないのに、やらないと積み上がる。
積み上がるから、こうして“測られる”羽目になる。

「先生、できます?」
「できる」
「“できる”じゃなくて“する”です」
「……する」

シシスは帳面を閉じた。
乾いた音が、診療所の静けさに溶ける。

「じゃあ、今日の健診、終わり」
「終わり?」
「終わりです。帰っていいです」

「医者を帰らせる看護師だ」
「医者も、人です」

言ってから、シシスは少しだけ声を落とした。

「……先生が元気じゃないと、困ります」

優しさを大げさにしない。
この子の優しさは、いつも手順の形をしている。

私は立ち上がった。
背中が丸くなる前に、骨盤を立ててみる。
ほんの少しだけ視界が変わる。呼吸が入りやすい。

背骨は嘘をつかない。
だから、嘘をつかせない手順を置く。


私的記録:

健康は、放っておけば続くものじゃない。
続けるために、工程を残す。

測る者が測られる日も、同じだ。


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2件のコメント

  1. おれがの より:

    今週も読ませていただきましたー!!

    今回は先生の診察…!!
    厳しくも、シシスさんが先生の健康を思う心遣いが伝わって来ました…☺️
    (自分もちょっと姿勢の悪さを自覚してるので、処方箋の内容を気にかけてみます…ww)

    1. Liesa Clad より:

      いつもありがとうございますー!
      厳しいけど優しい子なんです。

      ちなみに医学的に正しいとは限らないので、猫背については専門医の指導を受けて下さいねw

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