診療記録044:歩いてきた命、宿る場所
- 種族
- ミコッテ・サンシーカー / 女性 / 29歳
- 職業
- 行商人
- 配偶者
- エレゼン・フォレスター / 男性 / 29歳
- 主訴
- 腹部膨満
- 診断
- 妊娠(推定約20週)
- 処置
- 長距離移動・重労働の制限。生活指導と経過観察。
扉が開く前に、道の匂いがした。
乾いた土、荷紐の麻、香辛料の甘い粉。布の端に、雨避けの油の匂いが薄く残っている。
“歩いて暮らしている人”の匂いだった。
入ってきたのは若い夫妻。
二人とも口数は多くない。けれど視線はまっすぐで、互いの動きだけはよく見ている。
行商の癖だ。荷物より先に相手の空気を読む。
「最近、お腹が……張ってきて」
女性が腹部に手を添えた。守るというより、確かめる手つきだった。
私は順番どおりに聞く。
焦るところではない。けれど、遅らせる場所でもない。
「痛みはありますか?」
「強い痛みはないです。重い感じがして……」
「胃腸に何か違和感は?」
「吐き気が少しあるくらいです」
「発熱はありますか?」
「ありません」
横でシシスが記録に線を引く。声は柔らかいが、確認は抜かない。
「月の巡りはどうです?」
女性は一拍置いて、首を傾げた。
「……気にしてなかった、かも。旅の途中で、ずっと」
“気にしてなかった”という言い方に、無理がない。
走り続ける生活だ。身体の小さな変化を後回しにするのは珍しくない。
触診では、腹部の張りは均一で、硬さに偏りがない。圧痛も強くない。
危険な出血や急性腹症の所見は薄い。
私は布を整え、呼吸を合わせた。
「少しだけ、エーテル視でおなかの中を見ます。大丈夫、痛くはありませんよ」
女性が頷く前に、夫が小さく息を飲んだ。
緊張が先に立つタイプだ。守ろうとしている。
右目が腹部の奥を拾う。
反応はすぐに返ってきた。小さな、確かな拍動。霊流が二重に重なる。
「……います」
私が言うと、二人は同時に瞬きをした。
「赤ちゃんがいらっしゃいます。週数は……二十週前後です」
言葉を飾らずに置く。飾ると、現実が遅れる。
女性は、しばらく言葉を失っていた。
それから堰が切れたように口元がほどけた。夫も同じ顔になった。
笑っているのに、肩の力だけが抜けない。嬉しさと怖さが同居している。
シシスがそっと言う。
「おめでとうございます。……まずは座りましょう。息、戻しましょうね」
相手が今ほしい言葉を選ぶのが、この子は上手い。
私は話を次へ運ぶ。
喜びの後には、必ず安全の話を置く。
「ここから先は、“運ぶ”量を減らす。長距離移動と重い荷は避ける」
夫がすぐに言う。
「荷は僕が全部――」
「“全部”も危ない。あなたが倒れたら、二人とも止まる」
彼は口を閉じた。納得した顔だ。
守ろうとする人ほど、無理を引き受けがちだ。だから先に止める。
「歩く距離は短く。休みは長く。
腹が張る日、出血、強い痛み、目が回る感じが出たら、その日に来る」
「はい」
女性の返事は小さかったが、芯があった。
私は“未来”の話には、触れすぎない。
「胎児の種族的特徴は、今のところ母体側に寄りやすい可能性が高い。ただ、確定ではない」
最後に、次の目安を渡す。
「四週で一度、経過確認。旅の予定は、その間は“伸ばす”前提で組む」
二人は立ち上がるとき、さっきよりゆっくり動いた。
歩き方が変わる。守るべきものが増えたときの速度だ。
私的記録:
道を歩いてきた身体は強い。
だからこそ、止まる勇気が必要になる時がある。
いまは、宿る場所を守る番だ。
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1件のコメント
読ませていただきましたー!!☺️✨
また新たな命の物語が…!
しかも種族の違うご夫婦!🙄
今後どうなってくのかとても楽しみです…☺️