診療記録037:頭を垂れる巨躯、重き一撃ののちに
- 種族
- ルガディン・ローエンガルデ / 男性 / 35歳
- 職業
- 林業従事者
- 主訴
- 意識消失・頭部打撲
- 診断
- 頭部外傷による意識障害 / 脳内出血の疑い
- 処置
- 生命力安定化・意識確認・外傷部の止血・フロンデール薬学院への緊急紹介
鈴が鳴る前に、床が鳴った。
担架の金具が石畳を削り、扉が肩で押し開けられる。草いきれと樹脂の香りが、薬草の匂いを一息で追い払った。
「落ちた! 頭から! 最初は喋ってたのに、急に……!」
ルガディン族の男が担架に乗っている。大きな身体が、動かない。こめかみの腫れ。髪に絡む暗い血。呼吸は浅く、喉が鳴っている。
私は迷う場所だけを先に潰した。
「頸は動かさない。担架、固定。
シシスさん、気道。私は出血確認。
あなたたち、声を出して。搬送時間、いつ?」
「チョコボキャリッジ、呼んでる! 学院の搬送隊も――」
「いい。呼び続けて。ここは“つなぐ”」
診療所にあるのは、命を拾うための道具だ。勝ち切るための設備じゃない。
シシスが顎を支え、口腔を覗く。ララフェルの指は小さいのに、動きは迷いがない。
「舌根沈下。気道、危ない。酸素ください。バッグも」
「脈は速い。皮膚冷たい。ショック気味」
私は胸の上下を見て、すぐに頷く。
「バッグ換気。頸固定のまま。
点滴ルート、太いの。輸液開始」
シシスが酸素を確保し、私は腕の静脈に針を通す。ルガディンの皮膚は厚い。針先が跳ね返る。だが一回で決める。ここで二回は許されない。
「入った。流す。
頭の止血、圧迫。強く、でも骨を押し潰さない」
同僚が震える手で布を当てる。私はその手首の位置を直し、圧の方向を指で示した。
「そこ。そう。いまのまま」
「瞳孔、右が大きいです」
シシスの声が少しだけ低くなる。救急の現場で、その低さは警報と同じ意味だ。
私は片目ずつ、反射を見る。右が鈍い。呼吸が浅い。さっきまで喋っていた、という情報が頭の中で点滅する。
――ルシッド・インターバル。
「硬膜外、疑い濃厚。ここで開頭はできない。だから、やることは一つ」
私は言葉を短く切った。
「脳を守りながら運ぶ」
「頭を少しだけ高く。二十度。首は曲げない。
ベルト、胸と骨盤で固定。顎は上げすぎない」
搬送の揺れが増えれば、頭蓋の中はさらに荒れる。だから姿勢で稼ぐ。薬でも稼ぐ。
「シシスさん、浸透圧薬、準備。量は標準。
吐いたら吸引。痙攣が来たら、すぐ止める。薬は私が指示する」
「了解。……気道、このままだと危ない。挿管しますか」
私は一拍だけ考え、すぐに結論へ落とす。
「学院までの搬送時間が長いなら挿管。短いならバッグで押し切る。
――いま、何分?」
「キャリッジは十五分。学院は、最短で四十分」
「挿管。ここで落としたら、学院に着かない」
“高度医療”ではない。搬送に耐えさせるための最低限だ。
シシスが器具を揃え、私は喉頭鏡を取った。
この作業だけは、シャーレアンから取り寄せ、診療所でもできるようにしてきた。
できなければ、救急は成立しない。
「入る。……声門見えた。管、どうぞ」
シシスが管を進める。胸が膨らむ。呼吸音が左右で揃う。固定。
「よし。酸素、維持。輸液は入れすぎない。血圧、目標は最低限。頭を悪化させない」
同僚の男が言葉を探している顔をしていた。
「……助かるのか」
私は、数字では答えなかった。ここは診療所だ。今は“つなぐ”。
「助けるために運ぶ。
学院なら、頭の中を直接止められる。ここでは止め切れない」
シシスがリンクパールを手に取る。学院への連絡は定型だ。情報が速いほど、向こうの準備が早い。
「フロンデール薬学院、救急当直へ。重症頭部外傷、硬膜外疑い。
昏睡、瞳孔不同、挿管済み、輸液中、浸透圧薬投与予定」
私は横で要点を短く足す。
「受傷機転、高所から落下。最初は会話あり、急に意識消失。
頭部外傷、側頭部腫脹。出血は圧迫でコントロール。
頸椎損傷も否定できず固定中」
“うちでできたこと”より、向こうが知りたいことを送る。現場はそれだけでいい。
チョコボキャリッジの音が近づく。鈴が鳴るのは、診療所の中ではなく、外の通りだった。
「担架、持ち上げる前に声を揃えて。
一、二、三。首、動かさない。頭、揺らさない」
ルガディンの重さが、全員の腕に乗る。
でも、その重さは生きている重さだ。いまはそれでいい。
私は最後に、同僚へ向き直った。
「学院へ一緒に行けるのは一人。ほかは、連絡係に回って。
家族がいるなら、“意識が戻る前提で”伝えて。準備が要る」
「……分かった」
彼は涙を拭かなかった。ただ、頷いた。
私的記録:
小さな診療所が勝てる戦いと、勝てない戦いがある。
今日のこれは、後者だ。だから私は、勝とうとしなかった。
運ぶために整えた。息を通し、首を守り、血を止め、脳に時間を与えた。鉄骨みたいな身体は、眠ったまま揺れに耐えていた。
目を覚ます場所は、ここではない。フロンデール薬学院の扉の向こうで、
彼がまた息を“自分のもの”にできますように。
コメントはまだありません